撮影:篠山紀信
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北の歴史が、文化が、
記憶の岸辺で新たな“混流”を
果たした感動の2日間

公開ワークショップ

2020年1月のパフォーマンス本番に先駆けて、2019年12月20日(金)から22日(日)まで、野田秀樹、木村カエラ、“東京キャラバン”アンサンブルら出演者及び関係者、そして写真家の篠山紀信は、北海道を訪れていた。

1日目(12月20日)

東京から訪れた一行は沖縄から駆けつけた琉球舞踊チーム、そして北海道のスタッフらと合流し、まずバスに乗って札幌市アイヌ文化交流センター・サッポロピリカコタンを訪れた。同所は2階建ての敷地にアイヌ民族の生活や歴史、文化を学べる様々な展示を観覧することのできる施設である。札幌市内の小中高校生や市民を対象にした体験学習や料理会などの様々なイベントが行われている。

一行はまず同所の学芸員から「イランカラプテ」というアイヌ語の「こんにちは」を教わり、互いに発声して挨拶を交わした。そして、館内の見学がスタートした。

展示室には、かつてアイヌの人々が使用していた衣類、生活雑貨、楽器など、直に見て、触れられる展示や映像資料が常設されている。

様々な交易品や衣類、装飾品からは、中国、ロシア、本州の人々との物流(物々交換)によって、アイヌの人々の暮らしぶりがどう変わっていったかが読み取れる。アイヌ語の特徴や、現在日本で使われている文化や言語に与えた影響を知ることもできる。野田はそれらを興味深く観察し、メモをとる。その様子を、篠山はカメラでつぶさにとらえていった。

また、屋外には人々が暮らしていた家屋(チセ)や倉(プ)、外洋船(イタオマチプ)などの再現展示もある。一行は雪の降る中、学芸員からの説明を受けながら楽しく展示を見て回った。一行が特にハマったのが“ムックリ”だった。付属の紐を引っ張って弁を震動させ、口腔で共鳴を起こすことで「びぃーん」と特徴的な音を発する竹製の楽器を、野田も木村も楽しみながらマスターしていた。

続いて一行が訪れたのは北海道博物館だった。同館の総合展示では、「北東アジアのなかの北海道」「自然と人とのかかわり」をコンセプトに、北海道の自然・歴史・文化が、五つのテーマで分類されている。

北海道とは、日本地図上では「日本の北側の大陸」という一情報のみを認識しがちだ。しかし世界地図上でよく見ると、実際には北東アジアの文化・貿易交流の交差点という位置と機能を担っていたことが分かる。

そうした基礎知識が学芸員から解説されると、一行は豊富なパネル資料、絵画、弓や土器、土偶、調度品などの遺跡・復元資料や模型などによって、オホーツク文化の広がりから函館の開港、今日の生活の影響までを駆け足で学んでいった。

そしてこの日の最後は、1月のパフォーマンスの会場となるモエレ沼公園ガラスのピラミッドを訪問した。途中、雪による交通渋滞に見舞われ、予定時刻を大きく遅れての到着となったが、野田をはじめとするアーティストと制作スタッフの面々は、舞台となるロビーの広さ、音の反響、スケルトンのために望める公園敷地内の風景などを直に感じ取り、意見を交わしたのだった。

2日目(12月21日)

この日は公開創作ワークショップである。会場は札幌からバスで1時間ほどの白老郡白老町本町にある白老町中央公民館・コミュニティセンターだ。この白老町は、2020年4月にアイヌ文化のナショナル・センターとなる「民族共生象徴空間(ウポポイ)」のオープンを控えていた町である。

午前中、一行はまず、公益財団法人アイヌ民族文化財団と白老民族芸能保存会の面々から、アイヌ古式舞踊のパフォーマンスで歓迎を受けた。前日に体験したムックリの演奏を交えながら、次々にアイヌの歌と踊りが披露されていく。

かつてアイヌの人たちは祭りや儀式など人が集まる機会に歌い踊った。その多種多様な踊りには狩猟や採集の対象だった動植物をモチーフとする振り付けなどがあり、娯楽の要素や神々への尊敬、御祓などの意味が込められていたという。

弓や刀を用いた振り付けや衣服を鳥の羽のように羽ばたかせる踊り、向かい合い、やがて輪になる構成など、一行は歌と手拍子にのせて披露される踊りを興味深く鑑賞した。

観賞後、野田と木村は踊り手たちと質問や感想などの会話を交わし、昼食時は白老町の方々のご厚意で振る舞われたアイヌ料理「オハウ」(※鮭や大根、人参などが入った汁物)を皆で御馳走になった。

午後になると、公開創作ワークショップが始まった。野田とアンサンブルは、野田の特徴的な演出の一つであるスローモーションの動作から、徐々にエンジンをかけていく。そして野田が集まったアーティスト一同に「新しいものを作ろうという気持ちです。(中略)こういう混じり方もあるのか、と、広い心で参加してほしい」と呼び掛けると、一同から笑いが起こった。

この日の観覧は入場無料、事前予約不用、出入り自由という環境だった。まず一同は詰めかけた観客の前で、アイヌ古式舞踊、琉球舞踊、江差追分を順に披露する。それを見ながら、野田がアーティスト、アンサンブルの各々と意見を交わしていく。

次いで、沢則行の魚や貝の人形が交わると、木村が戯曲『誕生日〜記憶の岸辺』を朗読し、山木将平のギターに合わせて「トゥモロー」を歌った。『誕生日〜記憶の岸辺』は、今回のために野田が書き下ろしたものだ。

野田、沢、そして公益社団法人北海道アイヌ協会の秋辺日出男らが中心となって、各々が積極的にアイデアを出し合う。男鹿のなまはげは、訪れた子供や保護者の大人たちの人気者だった。さらにアイヌの踊りが幾つか披露され、皆で輪になってアイヌの歌を歌ってみる。

そうした幾つもの試みを経ると、終盤にはパフォーマンスの構成が具体性を帯びていた。和やかな空気の中、今回限りのパフォーマンスが組み立てられていった。

3日目(12月22日)

最終日の公開創作ワークショップは、会場を札幌市中央区のサッポロファクトリーホールに移して、11時から公開された。この日も観客は入場無料、事前予約不用という形での公募だったが、実際には約300人の観客が集まった。

この日も撮影を篠山紀信が担当。様々な角度から舞台の様子をカメラに収めていく。午後に公開されたショーケース(※パフォーマンスの通し稽古)の演出は、ほぼ1月のパフォーマンスに近い形の断片まで詰められていた。訪れた観客は一様に舞台で繰り広げられる様々なアーティストのパフォーマンスとその融合に集中し、最後は拍手を送った。

アーティスト各々が1月のパフォーマンスへのモチベーションを高め、3日間の充実した公開創作ワークショップは幕を閉じたのだった。

歴史を知り、直に触れる。人々と出会い、文化が交わる。そうした極めて基本的な学びの時間が「東京キャラバン in 北海道」という舞台を組み立てていく。

無論、そうした経験の全てが、実際の舞台上で聞き取れる言葉や目に見える動きで表現されるわけではない。だが、アーティストそれぞれの意識下や全体のチームワークには、数値化できないほどの作用を及ぼし、パフォーマンスの重要な土台となっていくのだ。

そして何より、その土地の歴史や風土、過去から現在を生きる人々へのリスペクトが、参加した各々の心に自然と刻まれていく。それは歴史を継ぎ、文化を繋ぐための重要なアクションではなかろうか。東京キャラバンという“場”の特性が、意義が、あらためて直に感じられた3日間だった。

(取材・文/内田正樹)

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パフォーマンス

野田秀樹率いる「東京キャラバン in 北海道」は、2020年1月11日(土)、12日(日)、札幌市東区のモエレ沼公園ガラスのピラミッドにて開催された。

この公園の基本設計を手掛けたのは、彫刻家のイサム・ノグチである。同園のシンボルであるガラスのピラミッドはスケルトンのため、晴天の昼間は自然光が射し、積もった雪の白が眩しいほどに良く映える。その一方で、夕暮れから夜間は、樹木と雪のコントラストが幻想的な風景を描き出す。

今回、特設された舞台は、そうした園内の風景を背にする状態で設営された。上演時間(※両日ともに12時30分からと16時30分から)によって背景の彩りが変わるのもまた、この公演の「一度限り」という特色の一つとなった。

定刻を迎えると、客席の後方から登場したのは、男鹿のなまはげだった。北海道公演の口火を、2018、19年の「東京キャラバン in 秋田」に参加した秋田のアーティストが切ったのだ。「泣ぐごはいねぇがー!?」「なまけものはいねがー!?」。所狭しと練り歩き、時に眼前まで迫ってくるなまはげの迫力と愛嬌に、客席のそこかしこから笑みが漏れる。

「♪カムイランナー トーランナーホッランナ ホッランナ」。なまはげの雄叫びにかぶさって聴こえてきた伸びやかな歌声は、千歳地方のアイヌの演舞「ホリッパ(輪踊り)」の一節だった。

アイヌ舞踊の女性たちが姿を現す。程なく彼女たちは「♪フントリフンチカㇷ゚ ア~ァホ~ォ~」という歌声にのって、上着の裾を翻し、羽ばたくように舞って「サロルンリㇺセ(鶴の舞)」を踊る。すると今度は三線の音色とともに、琉球舞踊の地謡による「鷲ぬ鳥節(ばしんとぅぶし)」にのって、彼らの立方(=踊り手)が現れ、「鷲ぬ鳥(ばしんとぅ)」の踊りを披露していく。

沖縄の琉球舞踊は、2015年の「東京キャラバン~プロローグ~」にも参加したアーティストである。刹那、アイヌと琉球の歌と踊りが不思議なほどに渾然一体となり、おそらくはこれまでになかったはずの神秘的な調べが会場を包み込む。

アイヌの面々が去ると、突如、琉球舞踊の立方を取り囲むように、“東京キャラバン”アンサンブルの面々が雪崩れ込んできた。慌ただしく動き回りながら、一様に携帯電話を操作しているようなゼスチャーを続ける。悠久の時を受け継がれてきた琉球民謡と現代社会を生きる人々の描写が、舞台上に不思議な時間軸を描き出していく。

そして立方と入れ替わる形でプリズム素材が貼られたフラフープを携えたアンサンブルが現れると、プラハに拠点を置いている北海道出身の人形劇師、沢則行が登場した。沢が人形を手に演じるのは、自身が「オホーツク人」をテーマに創り上げた戯曲『OKHOTSK』の一節だ。舞台後方の紗幕では、詩情溢れる影絵や砂絵が映し出されている。

波音を想起させる音楽が止んだ瞬間、舞台中央に立っていたのは木村カエラだった。彼女はアコースティックギターをかき鳴らすと、自身の代表曲である「リルラ リルハ」を歌い始めた。彼女の頭上には、アンサンブルの手によって凧が泳いでいる。見つめることを、感じることを忘れないでという、観客に語り掛けるような彼女の歌声がこだまする。

そんな木村の歌声とクロスフェードするように、アイヌ舞踊の女性たちが「フッタレチュイ(黒髪の舞)」を歌い始めた。そこに琉球舞踊の「揚作田節(あげちくてんぶし)」の調べが交わると、「フッタレチュイ(黒髪の舞)」と「揚作田(あげちくてん)」という二つの異なる舞が見事にフュージョンしていく。幻想的な舞台の様子を、観客はただただ静かに見守っている。

木村が去ると、再びフラフープを携えたアンサンブルと沢が現れた。彼の手が操るのは首のみの女帝だ。すると紗幕がその首に覆いかぶさる。不穏な音と闇。光るプリズム。女帝の首はミステリアスに宙を飛び、アンサンブルが着た着ぐるみのような大きな魚の人形と対峙する。

ここで突如、照明と音楽が激しさを増す。海老や蟹、蛙といった人形が舞台に加わり、アンサンブルとともに身体を震わせ踊ると、急に音楽がぴたりと鳴り止んだ。

そこに登場したのは、江差追分の面々だった。尺八の音と「ソイ」という合いの手が特徴的なソイ掛けとともに、数々の民謡大会で受賞歴を持つライリー大仁が朗朗と本唄を歌う。その周りでは魚や海老、蟹たちとプリズムフラフープが緩やかに動いている。そしてライリー大仁が歌い終えると、その喉を称賛するように観客から拍手が起こった。

海の底を想起させるようなぶくぶくという音の中、貝の人形が現れて、桃太郎の桃のようにぱかっと割れた。産声とともに現れたのは木村カエラだった。携えた書物には、『誕生日~記憶の岸辺』と記されている。

「私は、これまでどれだけのことを覚えて、どれだけのことを忘れてきただろう。幾億のことを記憶し、幾億のことを忘却してきただろう。」

野田秀樹が書いたその戯曲を、木村は情感を込めて読み上げていく。札幌を拠点に活動中の山木将平がアコースティックギターを弾く。木村が歌い始めたのは、ミュージカル『アニー』の「トゥモロー」だった。その彼女の前を、アンサンブルの面々が過ぎ去った時間を顧みるようなしぐさを見せながら、緩やかな歩みで通り過ぎていく。木村は、朝の訪れとともに明日を信じる希望の歌を高らかに歌い上げた。

再び戯曲に戻る。物語の中の“私”は、17歳の誕生日に、“好きだった男の子”から“薔薇”という漢字を教わる。木村の演じる“私”は、彼とのちょっと不思議な、しかし大切なやりとりの記憶を読み上げていく。アンサンブルが演じる“私”の友人たちが、踊る椅子やテーブルの役を演じていく。彼が“私”にくれたのは、“恋心”だった。

やおら、山木のギターにのせて木村が歌い始めたのは、ザ・ビートルズの「イエスタデイ」だった。過去を慈しむように歌う彼女の脇を、今度は時間が巻き戻されるような歩みでアンサンブルが通り過ぎていく。

彼女が歌い終えると、舞台はまた戯曲へと戻る。71歳になった“私”は彼と夫婦になっていた。

「私たちは、幾億のことを記憶し、幾億のことを忘却してきたのだろう。そして、記憶の岸辺から遠ざかる日、誰もが、この世を去っていく」

木村が最後のくだりを読み終えると、ベールが舞台を駆け抜け、全てを消し去った。

やがて、沢の人形の出現を合図に、アイヌ舞踊の「エムㇱリㇺセ(剣の舞)」が聴こえてきた。さらに男鹿のなまはげが現れ、全てのキャストが雪崩れ込んでくると、自然と手を繋ぎ、一つの大きな輪をつくる。それに呼応するように、歌が「ポロリㇺセ(輪踊り)」に変わった。それは神と人間が一体となって喜びを分かち合うために、アイヌから神へと呼び掛ける踊り歌である。

一同は笑顔で闊歩し、共に歌い、踊り合いながら、舞台の袖へと帰って行った。観客の手拍子があたたかな拍手へと変わり、舞台はその幕を閉じたのだった。

そしてカーテンコール。木村があらためて全キャストを呼び込むと、観客から称賛の拍手が送られた。撮影を担当した篠山紀信も紹介された(※11日のみ)。木村は今回が初の朗読劇への挑戦だった。各々のキャストにとっても、全く新しい体験だったに違いない。

過去の蓄積が歴史となり、文化となり、記憶となる。そして今を生きる人々は、日々の生活の中で出会いと忘却を愛しみながらも、文化を繋ぎ、未来への憧憬を抱いていく。そんな情景を描く過程で、北海道、東北、東京、沖縄の人々が、文化が、舞台で繋がった。野田が2015年のプロローグから掲げてきた通りの“文化混流”が鮮やかに具現化された、清々しいフィナーレだった。

(取材・文/内田正樹)

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開催概要

開催日時・会場

〈公開ワークショップ〉
2019年12月21日 白老町中央公民館・コミュニティセンター
2019年12月22日 サッポロファクトリーホール

〈パフォーマンス〉
2020年1月11日-12日 モエレ沼公園ガラスのピラミッド

監修

野田秀樹(劇作家・演出家・役者)

参加アーティスト

木村カエラ(アーティスト)、“東京キャラバン”アンサンブル〈石川詩織、上村聡、川原田樹、近藤彩香、末冨真由、手代木花野、福島彩子、松本誠、的場祐太、吉田朋弘〉、沢則行(人形劇師)、黒川絵里奈(切り絵)、中川有子(造形)、山木将平(ミュージシャン)、アイヌ古式舞踊〈公益社団法人北海道アイヌ協会:秋辺日出男、荒田裕樹、貝澤太一、加納ルミ子、川上さやか、川村久恵、酒井学、酒井真理、篠田マナ、早坂駿、早坂ユカ、早坂由似、藤岡千代美、山道ヒビキ、渡邊かよ〉、江差追分〈ライリー大仁、ライリー千春、木村和昭〉、琉球舞踊〈立方:阿嘉修、佐辺良和、大浜暢明、玉城匠 地謡:玉城和樹、和田信一〉、男鹿のなまはげ〈佐藤真一、菅原雄一、関一彦、安田春一〉

参加クリエイター

服部基(照明)、原摩利彦(音楽)、ひびのこづえ(衣装)、赤松絵利(ヘアメイク)、篠山紀信(写真)、青木兼治(映像)

主催

東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、北海道

協力

北海道舞台塾実行委員会(公益財団法人北海道文化財団・北海道)

事業協力

男鹿市、公益財団法人アイヌ民族文化財団、白老民族芸能保存会

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