2017年度からは野田秀樹が総監修として、その年ごとのテーマを創出。
様々なジャンルから東京キャラバンを導くリーディングアーティストたちを迎え、テーマの下、全国各地で唯一無二のクリエイションを発揮した。

——国内4カ所でリーディングアーティストを務めた近藤さん。最初に、どんなことをやってみたいと思われましたか?

近藤 一番最初の打ち合わせの時に、「文化の遊園地、それは突如、街にやってくる」みたいなことが野田さんの直筆で書かれたものを見たんです。その言葉が、新しいことを始める時のキラキラした感じと一緒に、東京キャラバンのイメージとして僕の中にずっと残っていて。それで、その野田さんの言葉から僕なりに発想して、地域の色々な場所を巡って、そこで活動している人たちや文化・芸能と出会って、それを組み合わせることで、何かが出現するようなことができたらなと考えました。決まっていることを決まったようにやるんじゃないことに、チャレンジしたいなと。
ただ、いざそれを具現化するとなると、やっぱり大変で、面白さはありつつも、正直、できるのかな?という気持ちにはなりましたね。特に最初に行った熊本では、スタッフも含めてみんながみんな、どういうものができるのか分からないまま手探りで進むような感じでしたから。チャンキー松本さんや楽団のメンバーとも、現地で「はじめまして」をして、「じゃあ今から曲を作りますか」という具合(笑)。昔テレビでやっていた『電波少年』と『ウルトラクイズ』を思い出しました(笑)。

——どう具現化していったのですか?

近藤 地域の文化をとにかく取り上げようということで、まずはリサーチをしてもらいました。それをもとに、山鹿、熊本市内、天草と、結構広い範囲を大型バスで巡って、ワークショップをやりながら各地の歌や踊りに出会いました。踊りが地域の文化になっているのを肌で感じて面白かったし、地元の人たちと交流したり、セッションしたりというサブストーリーがまた楽しかったですね。そうやって訪れた場所を、自分の中でロードムービーみたいに繋げていったところがあります。
残念だったのは、パフォーマンスを披露する最終日に雨が降って、会場が修復中の熊本城が見える二の丸広場から、急遽ショッピングアーケードに変わったこと。そんなこともあって、最後まで本当にバタバタではあったんですけど、その分、ある種やけっぱちのいいパワーが出た気がしますね(笑)。人通りの多い場所で色々な人に観てもらうこともできて、結果的にはよかったなと思ってます。

——パフォーマンスを組み立てる上で、近藤さんが大切にしたことは何ですか?

近藤 “ミックス”です。これは全公演に通じることで、例えば熊本では、山鹿灯籠踊りを楽団の演奏で踊ってもらったり、それとは対照的に軽快でエネルギッシュな天草のハイヤ踊りを、楽団のラテンぽい音楽のリズムと合わせていって、最終的にミックスしたり。僕の中では、そういう掛け合わせができたことが、かなり東京キャラバン的な感じがして嬉しかったです。まさに文化混流というか。

——熊本の翌年は豊田に行かれていますね。

近藤 豊田は豊田で、ぶったまげました。僕は自動車メーカーのイメージしかなかったんですが、以前からエッジの効いた音楽フェスが開かれているそうで、尖った人がたくさんいて。武術がもとになった伝統芸能「棒の手」も初めて知ったし、廃品を利用した傀儡師グループ「GIANT STEPS」の無国籍な雰囲気や真摯な情熱にも胸打たれました。そういったものを組み合わせて、ダンサーとも絡めながら、スタジオジブリっぽいストーリーを展開できたのは楽しいことでした。サンバの人たちやオーディション選抜で出てもらった聖火ランナーの人、舞台美術をお願いした現代美術家の山本富章さんをはじめとするクリエイターの人も含めて、東京キャラバン的な出会い方とパフォーマンスができたかなと思ってます。猛烈に暑い日の野外公演だったのに、思いのほか大勢の人が観に来てくれたことも嬉しかったですね。

——その翌年のいわき公演は、港に停めたトラックの荷台を使ったステージで、「やっちき」からスタート。艶っぽい歌詞に驚きました。

近藤 僕も、出会った時はかなり衝撃でした(笑)。さすがにコラボはできなかったけど、そんな「やっちき」と、スパリゾートハワイアンズのトップクラスのフラダンサーとファイヤーナイフダンスの人たちが並んでいることが、僕的には面白くて(笑)。これも東京キャラバンならではじゃないですかね。そのほか地元からは、じゃんがら念仏踊りの若者たちや、ラップグループ「オナハマリリックパンチライン」に出てもらいました。さすがに、いわきになると、僕もスタッフも少し慣れてきたというか、色々な人たちを混ぜるとどうなるかな?みたいなパフォーマンスの要領が、やっと分かってきた感じがありましたね。慣れてきたところで終わってしまって、本当に残念です。

——熊本の少し前に、八王子でもリーディングアーティストを務めていらしたかと。

近藤 あれはわりと急に頼まれたもので、しかも、いわゆる移動型キャラバンとは違うスタイル。100人以上いる一般参加者と一緒に作るものだったから、最初は正直、何をすればいいんだ?という感じで、頭が混乱しました。最終的には「古今東西の踊りを集めて踊る」というコンセプトで、八王子芸妓衆、1980年代から原宿で踊っているロカビリーダンスグループ、パラパラ、琉球舞踊、天草のハイヤ踊り、仙台すずめ踊り・高橋組に参加してもらいました。僕はチャイコフスキーの「くるみ割り人形」の曲を使って新しい盆踊りを作って、一般参加の人たちに1日目の公開ワークショップで覚えてもらって、2日目にみんなで踊って。野田さん率いるアンサンブルチームが、「東京キャラバン in 京都」で上演したワンシーンを披露する一コマもあったし、櫓のデザインを日比野克彦さんが手掛けていたり、石灰で地面に好きな絵を描いたり……なんかこう、ごちゃ混ぜのエネルギーがありましたね。それを最後、とにかく繋げていこうと思って、琉球舞踊とパラパラの人たちに一緒に踊ってもらったら、これが意外と相性が良くて(笑)。八王子でも色々な掛け合わせができましたね。

——ダンスに振り付け、演出、МC、楽器演奏ができて、柔軟にチームや公演を引っ張っていける近藤さんは、まさにリーディングアーティストの先駆けにぴったりだったのでは?

近藤 確かに僕は、順序だてて紙に書いてやってもらうタイプではないから、「じゃあ自分でやっとくよ」みたいな感じになるし、このまま転がしてもうまくいくんじゃないかなと思うタイプではありますね(笑)。でも、チャンキーさんの力も大きいんですよ。切り絵、МC、音楽と多才で、なおかつ「一緒にやろう」というふうに周りを優しく巻き込んでいく心があるから、場が和むんです。僕自身、チャンキー楽団と一緒にやれたお陰で、別の仕事で曲をアレンジしてもらったり、その後も繋がっています。そういう意味でも、東京キャラバンからもらった影響は大きいなと思います。

——その影響が、訪れた場所でも広がって、地域の交流に役立っていたら最高ですね。

近藤 本当にそう思います。東京2020大会関連の文化イベントではあったけど、東京で作ったものをただ持って行って見せるのとは全く違う、地域が主役の公演。丁寧にリサーチして、文化くくりで全員でチャレンジするというのは、すごく意義のあることだなと感じました。地方の伝統文化に出会うと、最初は大抵、伝統を守ろうとする側から反発があるんですが、最終的に「やってよかった」と言ってもらえたことも印象深いです。

(取材・文/岡﨑 香)

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