2017年度からは野田秀樹が総監修として、その年ごとのテーマを創出。
様々なジャンルから東京キャラバンを導くリーディングアーティストたちを迎え、テーマの下、全国各地で唯一無二のクリエイションを発揮した。

——2021年の「東京キャラバン in 駒沢 2021」が中止になったため20年11月、埼玉での映像収録が事実上、最後のパフォーマンスになったそうですね。

糸井 思いがけずそうなったわけですね。振り返れば……本来、19年10月に大宮公園で行う予定が台風のため20年3月に延期になり、それがコロナ禍で中止になりました。映像だけでも残そうと11月に無観客で撮影を行いました。

——出演者がマスクをしているわけはコロナ禍だったからですか。

糸井 そうです。俳優以外の方はマスクをしてパフォーマンスしています。

——手を洗うシチュエーションはコロナ禍を経て加えたものですか。

深井 コンビニで手を洗うエピソードは元からありました。

糸井 本来の予定から2年経過していますが内容はほぼ最初の構想と同じです。違いといえば演者が2歳年をとったくらいです。

——2年が経過して改めて臨む気持ちに変化はありましたか。

黒田 三度目の正直という気持ちが強かったです。

深井 私は育世さんをはじめ、参加メンバーと再会できたことが嬉しかったです。

——FUKAIPRODUCE羽衣と黒田育世さんは東京キャラバンが初顔合わせですか。

深井 私と育世さんは東京キャラバンの前からNODA・MAPの公演でご一緒していました。そこでは私は育世さんとお話しできるような関係ではなく、東京キャラバンを経たことで関係性が深まり21年3月、FUKAIPRODUCE羽衣の『おねしょのように』で振り付けをしていただきました。この快挙を東京キャラバンの制作メンバーは「勝手にキャラバン」と呼んでくれていると聞き、光栄です(笑)。

黒田 野田秀樹さんが繋いでくださったご縁ですね。

——皆さんは埼玉と関係はありますか。

黒田 全く。3人とも東京出身ですよね。

糸井 僕は西武線沿線で育ったので埼玉には愛着あります。

深井 日芸(日本大学芸術学部)だったしね。

糸井 日芸の所沢キャンパスに通っていました。授業をサボるたび埼玉の奥へ奥へと行っていました(笑)。

——19年10月の本番に向けて同年の6月頃から埼玉に関する学びを始めた時、印象に残ったことは何でしたでしょうか。

黒田 大宮の盆栽美術館は東京キャラバンのリーフレットにも書いたほど印象に残っています。盆栽の下から見上げた時の感覚はとても奥深いものでした。

深井 共演したスティールパンの音色が美しく、こんな音を奏でることのできる演奏者の皆さんに会えたことが宝に感じます。

黒田 スティールパンの歴史が印象的でしたね。発祥の地であるトリニダード・トバゴで市民が政治的に抑圧されていた時代があって、その時、楽器で暗号みたいなことを送り合わないように全て没収されてしまった。それでも楽器を、音楽を必要とした彼らはスティールパンで楽器を作って演奏を続けたそうです。

——秩父音頭の方々はいかがでしたか。

黒田 秩父音頭は歌詞が何百番もあるんです。古い歌を歌い継ぐのみならず、年々歌詞を新しく作っているそうです。すごく豊かなことだと感じました。

深井 初めのうちは、民俗芸能は神聖なものだから迂闊に近づいてはいけないと思って遠慮していたんです。そうしたら皆野民俗芸能奏楽研修会の方に「(大神楽獅子に)噛まれると縁起がいいんですよ」と教わって思いきって噛んでもらいました。ほんの少しだけですが近づけたような気がしました。

糸井 僕が台本を書く上で大事にしたことは秩父音頭や大神楽の方々、スティールパンの方にはそれぞれの伝統や歴史や、やり方があるということでした。部外者の僕らには分からない大事な部分には踏み込まず、なるべくそのまま、それぞれの作品に入っていけるような流れにしようと心掛けました。

黒田 振り付けもそうです。秩父音頭の皆さんをどういうふうに迎え入れるか——つまり演目と演目のジョイント部分ですよね。ここは間違ってはいけないところだと慎重に考えました。またスティールパンの方々は年齢も経歴も個性も多様な方々が参加されているので伸び伸びと演奏していただけるようなステージングを心掛けました。

深井 伸び伸び楽しくできましたよね。映像撮影ではお客さんがいなかったことが少しさみしかったですが、スタッフの方たちが遠巻きに見守ってくれていました。羽衣の劇団員も豆粒くらいにしか見えない距離から見ていてくれました。離れていても一人一人の気持ちを温かく感じました。

糸井 出演してくれたプロの俳優さんもみんな気持ちの優しい方たちばかりでした。

——埼玉の文化や出会った人たちとの関わりが生かされた内容だったのですね。

糸井 色々な場所に行って多くの人と触れ合って様々な文化を知った勢いで本を書き、オリジナル楽曲も3曲も作りました。そのまま本番に突入できれば……最高だったでしょうね。

深井 公表していませんが作品には『ババンババンバン、心のキャラバン』というタイトルがついていたんですよ。「近くて遠くて遠くて近い場所」もいい曲でした。

——スティールパンの「上を向いて歩こう」の選曲はどうやって?

糸井 スティールパンの方々のレパートリーの中から何曲か聞かせていただき、それに決めました。

——大宮公園・埼玉百年の森という野外でやる上で意識したことはありますか。

糸井 大宮公園のロケーション——空の下と自然の中で行う演目であることを念頭に置いていました。雨天の場合は体育館で行う予定になっていましたが台風で交通機関が止まってしまう恐れがあったためやむなく延期して、結果的に無観客とはいえ大宮公園で撮影ができたことで、自然の中で行うという当初の目的を果たすことができたかなと思います。

——自然は「率直」というセリフがありましたが、実感ですか。

糸井 大宮公園を見てから書いたか、見る前に書いたか記憶が定かではありませんが、たぶん当時そう感じたのだと思います。

深井 大宮公園は広く、見上げた空も大きくて、その自然の大きさには人間はかなわないなあと私は感じました。撮影中に大量のカラスは飛ぶわ鳴くわ(笑)、強い風は吹き付けるわ……私たちの思い通りにならないことばかりでしたがそれを楽しみました。

黒田 公園は人々が木々の中で自由に時間を過ごすための場所であって、野外劇場とは勝手が違いますよね。そう考えた時、脚本に書かれた水の精、木の精、土の精などにはあえて技巧的な振りは付けず、あどけなく素直な振り付けを施しました。光だったら「ぴかぴか」(手のひらを動かす)と、ともすればお遊戯に見えるような動きをてらいなくやってみたりして……。その一方で、タキシードを着て踊るイメージのところはちょっとかっこいい感じになるといいなと考えました。脚本が男でいる時と自然でいる時の対比になっているように感じたからです。

糸井 今、そう言われて、そういえば対比したかも……と思い出しました(笑)。

——台本を深く読み込まれていますね。

黒田 ダンスの世界にいる私には、言葉を使う方々——演劇の俳優が言葉をどういうふうに心理的に影響させながら表現するか、その作業は不可侵なものです。野田さんのおかげで演劇の振り付けを多くやるようになりましたがいまだに分かりません。だからこそ台本を何度も読むように努めています。

糸井 僕は演劇の世界にいますが俳優ではなく、脚本、演出、音楽をやっていて。だからなのか僕も俳優さんになんでも言えるわけではないです。むしろ自由にやってほしいと思っています。

深井 でもつまらないとたちまち不機嫌になるよね(笑)。東京キャラバンをきっかけに育世さんに羽衣の公演の振り付けをお願いしたら、いつもの羽衣にはないシーンができてそれが私には衝撃的な面白さでした。糸井君の脚本と育世さんの振り付けが合わさってできた器の中で演じられる喜び。この始まりが東京キャラバンだったんですよね。もっと私がうまく踊れたら育世さんの世界を表現できるのに……。

黒田 いやいや、踊れるからいいわけではないですよ。むしろかっこよく踊ろうとすると役者さんでもダンサーでもうまくいかないことが多いです。

糸井 実は僕、長らく俳優をやっていなかったのですが10年ぶりにやってみようと思っているんです。

深井 『フェイクスピア』の野田さんに感動して影響されたんですって。

糸井 役者は面白いと改めて思ったんです。

——東京キャラバン以降、皆さんに変化が訪れているようです。今後の展望はありますか。

深井 東京キャラバンと新型コロナが=(イコール)になってしまって。その経験によって表現することがとても楽しいと思うようになりました。当たり前のことだった稽古も今はとても楽しいです。今までも楽しかったはずなのについ忘れてしまいがちだったので、今は一回一回の出会いを胸に刻んでいます。

糸井 僕も今回の経験によって、上演できないこともあるのだということを強烈に意識しました。だからといって諦めて自暴自棄になるのではなく、これからも淡々と作って準備し続けるしかないと思っています。

黒田 今こそ、演じたり踊ったりしてどんどん奉納したほうがいいと感じます。演技も踊りも奉納できるレベルに高めてお客さんにも立ち合っていただきたいです。

糸井 その言葉、じーんとしました。同意しかないです。

深井 私も同意です。

(取材・文/木俣 冬)

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