2017年度からは野田秀樹が総監修として、その年ごとのテーマを創出。
様々なジャンルから東京キャラバンを導くリーディングアーティストたちを迎え、テーマの下、全国各地で唯一無二のクリエイションを発揮した。

——東京キャラバンの趣旨や企画を聞いて、まずどんなイメージを持たれましたか?

福原 出会ったことがない人と東京じゃない場所で作品をつくりたいと思っていたので、ぜひやってみたいと思いました。こういう企画の場合、ダンスパフォーマンスのほうがやりやすいことは分かっていたんですが、僕は演劇の人間だし、演劇だからできることもあるはず。どうせなら直球で芝居をやろう、と。そこに岡山の空気をどう盛り込もうかと考えていた時に、若い頃にいた劇団でやった稽古を思い出したんです。それは、身の回りにいる人に聞いた実話をもとに短い芝居を作るという稽古だったんですが、ちょうど、さんぴんという演劇チームが似たような手法で創作をしていたので、何か一緒にできないか?と声を掛けました。

——岡山からの参加メンバーは、どのように決まったのでしょう?

福原 岡山でオーディションをして、一緒に楽しく創作をできそうな人たちに集まってもらいました。備中神楽の人たちと出会ったのもオーディションです。僕は備中神楽を観ること自体初めてで、知らない人間からすれば、歌舞伎や日本舞踊のような所作だなという感想が最初に浮かぶんですけど、よりプリミティブでパンクな勢いがあって……実際、神楽のほうが歴史が古いわけでプリミティブな印象は当然なんですが、血が沸きました。地元では広く親しまれていて、出演してもらったメンバーも子供の頃から始めて、20代で芸歴十数年という。ちょっと尋常じゃないカッコよさと、自分たちがやっていることへの愛情を感じましたね。

——そんな備中神楽をうまく劇中に取り入れつつ、実話に基づいた複数のショートストーリーを小粋で心温まる約1時間のオムニバスに仕上げた福原さん。事前に岡山で取材して、ネタとなるエピソードを集めたそうですね。

福原 さんぴんの面々は「ナンパ」と言っているんですが、街で出会った人に話を聞かせてもらったりしました。あとは、東京から参加したメンバーに岡山出身の俳優さんがいたので、その岡山在住のお父さんにインタビューして、お母さんと遠距離恋愛を成就させた話を聞いたり、岡山チームのダンサーさんたちに、思春期に学校に馴染めなかった話や、ダンスをするために大阪に行ったのに、家の事情で地元に戻らなきゃいけなくなった引っ越し当日の話を聞いたり。もちろん、備中神楽の人たちにもインタビューしました。どのエピソードも、それぞれに面白くて魅力的でしたね。
特に僕が感銘を受けたのは、今回一緒に作品づくりをした岡山の人たち全員が、創作や表現は常に自分のそばにあるもので、ずーっとやっていくものだと捉えているように見えたことでした。東京にいると、「売れる・売れない」を物差しにして、「売れなければやめる」という考えの人も多いので。岡山で“やりたいからやっている”とか “身体が踊っちゃうから踊る”とか、そんな考えの人たちと仲間になって、純粋に創作できたことは、大きな経験でした。東京から参加したメンバーはみんな、何かしら感じるものがあったと思います。

——パフォーマンスは、美観地区にある倉敷物語館の日本家屋を使って披露されました。倉敷のお客さんの印象はどうでしたか?

福原 観光地ということで、独特の大らかさやハッピーな空気があるなと感じました。各公演の前に出演者みんなで客寄せのパレードをやったら、飛び込みのお客さんが思いの外たくさん集まって、しかもほとんどの方が最後まで観てくださって、本当に嬉しかったです。結構素敵で小さな作品集ができたなという自信はありつつも、実話に基づいた内容で、衝撃的な展開があるわけではないので、果たしてこれをお客さんはどう見るんだろうか?という不安もあったので、ほっとしました。
宣伝等で事前に公演のことを知って足を運んでくれたお客さんと、たまたま通りかかったお客さんが一緒になって、僕たちの芝居を観て笑ってくれるというのは、すごく貴重な経験でしたし、呼び込みにつられてふらっと入って芝居を観たら意外と面白くて……というのは、なかなか幸せな体験なんじゃないかなと思うんですよ。そういう場を用意してくれた人たちや、パレードと芝居をほぼ休憩なしで立て続けに3回やった出演者陣は、もちろん大変だったとは思いますけど(笑)。

——パフォーマンスを通して、福原さん自身にはどんな発見がありましたか?

福原 思春期に学校に馴染めなくてクラスメイトと話せなかったダンサーさんの話を、学生時代の当人役を俳優さん、最後に彼に声を掛ける役をダンサーさん本人という配役で演じてもらったんです。セリフも、当時の自分に掛けたい言葉を、ダンサーさん本人に考えてもらうことにしました。そしたら、普段はすごく寡黙な人なのに、かなり長いセリフが本人から出てきて、ああ、こんなに言いたいことがあったんだと思って。芝居のバランス的にはラストに決めの一言、とかのほうが締まるじゃないですか。でもバランスとかじゃないなって思って、そのまま言ってもらいました。
僕は普段、劇場に来てくれた人全てに満足して帰ってほしいと心から思ってるんですけど、その時、“たった一人の救いのための表現”があってもいいんじゃないかと思ったんです。それは、公演が終わった後もすごく考えたことでしたね。岡山でつくったお芝居は、全てが個人の記憶や思いに基づいたものだったので、全体的にそういう感じになっていた気がします。

——もし、また同様の企画に参加できるとししたら、次はどんな挑戦をしたいですか?

福原 あえてまた、同じことをしたいですね。今回、「インタビューをもとに作劇して、パレードをやってからお芝居をする」というフォーマットみたいなものを作るのに、わりと時間がかかったんです。これで楽しく意義のあることができると分かったので、せっかく作ったこのフォーマットで、色々な人と出会いたいという気持ちがあります。場所と人が違えば、同じことをやってもまったく違うものになると思いますし。

——東京キャラバンの意義については、あらためてどんなふうに感じていますか?

福原 企画趣旨の一つにあった“地元のアーティストと交わること”は、本当に必要なことだな、意義あることだなと感じますね。みんなで車でホームセンターに買い出しに行って、小道具を作って、稽古して、夜は台本を手直しして……という日々は、その後、コロナ禍が始まったこともあって、あれは夢だったんじゃないか?と思うくらい充実した創作体験でしたし、そうやって協同作業することで色々な価値観があることに気付きました。みんな違うけど、通じる部分もあるんだな、と実感すると、何かこう、人に優しくなれるんです。創作や表現を仕事にしている人たち同士がこういう体験をして活動に生かしていくことで、そういった視点をより広めていける気がします。
というのも僕自身、やらせてもらってよかったと心から思っているんです。ここで終わってしまったらもったいない、意義のある企画だからこそ今後も続いたらいいなと。もちろん、もう一度自分が味わいたいという気持ちもあるんですが、創作や表現に関わる色々な人に経験してほしい、この幸せな体験をシェアしたいという気持ちもあるんです。そこで生まれるパフォーマンスを通して、文化や芸術をより身近に感じる人も増えていくんじゃないかなと思います。

(取材・文/岡﨑 香)

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