鼎談|近藤良平 × 野田秀樹 × 木ノ下裕一

今年の「東京キャラバン」は
“禁断の恋”。

これまでの軌跡と醍醐味、そしてこれからの「東京キャラバン」の描く未来とは?
提唱者・野田秀樹(秋田)、2017年に引き続き参加の「コンドルズ」主宰・近藤良平(豊田)、今回初参加の「木ノ下歌舞伎」主宰・木ノ下裕一(高知)が大いに語り合った。

── 豊田を担当される近藤さんは、今年(2018年)7月の本番に先行する形で、同年3月にプレイベント、6月にワークショップを現地で行われました。

近藤 とにかくできるだけいろんなことに取り組んでいる多くの方々と出会おうと思って。すでに不思議で濃い方々と出会えましたよ(笑)。そもそも豊田って、ちょっと行き辛い場所なんです。自動車産業で広く知られている街なので、もちろん生活の中心には車があるんだけど、名古屋からも豊橋からも微妙に遠い。でも何だかそうした環境が豊田の独特の文化を形成しているように感じられた。大々的な音楽イベントも行われているし、アウトロー精神やパンク精神に溢れた方々もたくさんいて。

野田 面白そうだね。

近藤 その土地の伝統云々と言うよりも、何でも取り込んで独自の盛り上がりを作れるのが豊田の特徴であり、面白さだと感じられますね。でもワークショップの会場に出向いたら、どうやら野田さんからの指示で“禁断の恋”とだけ書かれたホワイトボードが置いてあったんだけど……(笑)。

木ノ下 それ、僕も(この鼎談の)一時間くらい前に初めて耳にしたんですが(笑)。

── その“禁断の恋”は、今回の全体に通じるテーマなのですか?

野田 このところずっと考えていたことをひと言で表したというか。現代の社会や共同体は様々な批判の声を受けて、“ちゃんとした”いい国、いい都市、いい街になろうとしている。でもそうすればするほど、タブーというか、隅に追いやられることも増えていく。ものを作る者からしてみれば、実はそこにこそたくさんの大事なものがあるわけで。

近藤 そうですね。“禁断”という言葉を調べると、次いで“禁断症状”に行き当たる。やめられない上に“恋”とくっ付いているんだから、これはいろんな解釈を考えちゃいます(笑)。

野田 男女の恋愛以外にも、偏愛的な何かに対する禁断症状ととれなくもないし。

近藤 ワークショップを通じて、出会わなかったかもしれない人と人同士が出会うと、それもちょっと禁断な感じするしね。

野田 恋も創作も“やめられない”、“とめられない”という気持ちは大事。だってやめられる程度だったらそこで終わっちゃうもん(笑)。古今東西の魅力的な物語だって、多くは“禁断の恋”が源だった。嫌い合っている両家の者同士が愛し合って密会して心中なんかしちゃってね。でもそうした話もどんどん語り辛くなっている。もっとも、“禁断の恋”はあくまで投げ掛けだから、途中で変えちゃうかもしれないけど(笑)。

近藤 豊田では、みんなで話し合って、“我楽多(ガラクタ)”というテーマを掲げることにしました。字面も何か素敵だし、ガラクタっぽいものがいっぱいあったから。“我”の楽しいと思うことをやり続ける人たちが見え隠れする感じもしていいなと思って。

野田 いいね。じゃあ全カ所“我楽多”でいこうかな?(笑)。

時代とともに形を変える“禁断”。
歴史と風土に培われる“ヒント”。

── 今年から初参加となる木ノ下さんは高知を担当されます。

木ノ下 お話をいただいてから間もないので、まだ頭の中は真っ白です(笑)。僕は演出家ではないし、歴史や古典を糸口にした入口を設けないと創作に入れないという非常に不自由な性格でして。だから、まずは藁にもすがる思いで、ちょうど『土佐日記』(※紀貫之:著。承平5年(935年)頃)を読みはじめました。

野田 そうか、高知が舞台だもんね。

木ノ下 土佐から都に命懸けで帰ってくる旅の話なんですが、あらためて読んでみると面白くて。主人公は紀貫之扮する女(※書き手を女性に仮託した日記風の作品)で、その女が高知で子供を亡くしているという設定です。帰る都に近づくと、亡くした子供が埋まっている高知がどんどん遠のいていく。帰りたいという思いと反して、高知から生じる引力に引っ張られる。その恋慕のような力も“禁断”と言える気が……。

近藤 するする。

木ノ下 まだ漠然とした手掛かりだし、何かの形で高知に反映されるかどうかも分かりませんが、東京という大きな都(みやこ)と地方の土地とで、引力が双方向に働くような感じは面白いんじゃないかと。ひと口に“禁断”と言っても、古典の中と現代におけるそれとではまた異なりますよね。

野田 違う。昔って、いまから見れば“禁断”だらけだったけれど、彼らにとってはそれって“禁断”じゃなかったんだもんね。

木ノ下 そうなんです。多少の差こそあれ、恋する心の動き自体は、昔もいまもあまり変わらないと思うんですが、“禁断”はまた話が別で、時代ごとに変化している。それはつまり「なぜ“禁断”なのか?」という背景そのものも全く異なるということ。ですから、そこに何かしらの形で手を付けてみるのは面白いのかもしれませんね。

野田 木ノ下君はもういろいろと考えているね。日本って国土は狭い国だけど、歴史がある分、立体にすると文化の容積は相当あるから、その土地の風土から拾えるヒントは何らかあるはず。例えば平安文化/西暦一千年代の時点で、女性がこれだけの小説を書いた国は世界で他に例がない。もっと誇りに思ってもいいぐらいだからね。

“瞬間”の奇跡と“継続”の関係性を
生み出していくステーションとして

── 東京キャラバンは2015年のプロローグを皮切りに国内外で展開してきました。提唱者及び監修として、現時点での野田さんの感想をお聞かせ下さい。

野田 有難いことにやっている自分が一番「得している」という感覚かな。たくさんの場所に出掛けて、いろいろものをもらえるからね。何よりいいのは、参加した人たち同士が出会い、一様に楽しんでくれていること。みんな最初はどきどきしながら、「えっ、何事?」、「こんなことやったことないし」と入ってくるんだけど、終わってみると「面白かった」、「またいつでも」となっている。文化混流のステーションとして、とてもいい空気が生まれている。本当は場所も時間も日数ももっと増やしたいくらいです。

近藤 実際やってみると、本当はこちらも不安にぶつかっている時はあって。

木ノ下 これまでの「東京キャラバン」を映像資料で拝見しましたが、一定のリーダーシップを執って場に渦を作って、それをパフォーマンスにまで昇華させていくお二人のエネルギーに圧倒されました。嫌というほど苦労が伝わってきて、一度はお断りしようかと思いました(笑)。

野田 大丈夫、何とかなるよ(笑)。ルールもないし、いろんな「東京キャラバン」があっていいから。

近藤 でも、たしかに東京で自分の仲間たちと何かを作るのとは全く違いますね。僕の場合、不安要素を「大丈夫、大丈夫」とふわふわした性格でごまかしつつやるんですが、本当はかなりどきどきしている(笑)。一人のかたとコミュニケーションをとることに、ものすごく緊張する時もある。

野田 いろいろな流儀やしきたりのある人たちに、「これ、三分割にできますか?」とか「ここで一度止めてみようか?」と言う瞬間は僕らでもかなり緊張するよね(笑)。

近藤 そうそう(笑)。

野田 でもある時点から前向きに「ここも縮めましょうか」とか言ってくれる場面もあってね。

近藤 自分たちの職人的な部分に火が着いて、ちょっと重鎮的な人が後ろから乗り出してきてくれたり(笑)。

野田 他のジャンルのすごい人を見ると、「じゃあ俺も」となる。同じジャンルだと流派があったりするけれど、全く違うジャンルだから打ち解け易い。それも東京キャラバンの特徴だね。

近藤 「東京キャラバン」のパフォーマンスはほぼ出会いがしらの一回勝負だけど、そこから更に時間をかけてものを作る動きも生まれていて。僕が携わった熊本では、現地の人と東京から乗り込んだ演奏家たちとで音楽を作った。また八王子では熊本や沖縄の人たちが来てくれて、その彼らが仙台の人たちと出会っている。これは彼らも僕も、互いに遣り甲斐がありますよ。

木ノ下 勉強になります。僕が古典芸能に目覚めたきっかけは、幼い頃、地元の和歌山の過疎の村で開かれた敬老会に来てくれた、噺家さんの落語を観たことでした。つまり“噺家キャラバン”だったんです(笑)。

野田 覗き見の感覚だね。春日若宮おん祭(※奈良県。春日大社の祭祀)で秘めごとみたいな神事を見るような。いまあらためて思ったけど「ヤバいものを見る」という覗き見の精神は芸能の原点とも言える。

木ノ下 だとすれば、やっぱり“禁断の恋”はぴったりですね。

近藤 よかった(笑)。

野田 いま蒔いている種がどうなるかは十年ぐらい経たないと分からない。でもそこを敢えて狙うのではなく、出会いで面白いものが生まれる場を続けさえすれば、人々のどきどきはずっと続いていくはず。いまはまだ実験段階のような時期だけど、どんどん回を重ねて、より広く認知されたあかつきには、東京キャラバンで繋がった人たちが一気に結集するような機会を、いつかみんなで形にしてみたいね。

(2018年6月。東京にて)

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